東京地方裁判所 平成3年(ワ)1859号 判決 1991年10月22日
原告
佐々木多市
被告
セントラルフィルター工業株式会社
右代表者代表取締役
松川文隆
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金一五〇万円を支払え。
第二事案の概要
本件は、平成二年一一月一五日被告会社に採用され、平成三年二月一九日に被告会社を解雇された原告が、<1>平成三年二月四日に被告から提案された労働契約書案は「虚偽契約書」であるとし、<2>同月一二日に予告なく出社停止された、<3>被告会社による解雇は不正であるなどと主張して、金一五〇万円の損害賠償の支払を求めた事案であり、その争点は、原告主張の不法行為の成否である。
第三争点に対する判断
一 当裁判所の認定した事実は次のとおりである。
1 被告会社は、水の工業用濾過器(フィルター)等の製造、販売等を業とする会社である。社長である松川文隆代表取締役(以下「松川社長」という。)の下に河部勇吉副社長(技術製作統括本部長兼任。以下、「河部副社長」という。)がおり、他に常勤役員としては、菅野龍治郎相談役(本件当時、総務部長兼任。以下、「菅野相談役」という。)がいる。被告会社の組織は、技術製作統括本部の中に、エンジニアリング部、資材部、外注部等の部署をもち、エンジニアリング部はすなわち設計の担当で、河野という者が設計の責任者に充てられていた。被告会社の事務所は、社長室だけは別室になっているが、他はワンフロアーで見通せる状態にある。
((証拠・人証略))
2 平成二年一一月一五日、原告は、新宿公共職業安定所に求人していた被告会社に同職業安定所の紹介状と履歴書を持って赴き、河部副社長と菅野相談役の面接を受けた。同人らは、右面接の際、原告の履歴書の記載を見て、原告の転職が余りに多いので、一旦採用を断った。しかし、原告からその場で、「生活に窮している。なんとかアルバイトでテストしてもらいたい。」と懇請されたため、菅野相談役において、原告に給料の希望額を聞いたところ、原告が、「いくらでもよろしいです。」と言うので、さらに、「前の勤務先ではどれくらいもらっていたのか。」と尋ねると、原告は一日九〇〇〇円だったと述べた。そこで、被告会社の一日の勤務時間が約七時間半であるため、菅野相談役は、その場で計算してみて、「一日九〇〇〇円だと時間給は一二〇〇円になるがそれでよろしいか。」と原告に尋ねると、原告が「是非お願いします。」と言ったため、時間給一二〇〇円で原告を採用することになった。そして、同相談役は、原告に対し、休日を過ぎたた同月一九日(月曜日)から出勤するよう指示した。
(<証拠・人証略>、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨。なお、原告本人は、原告の採用が決まったのは面接の日の二日後であり、その場では、採否が決まらなかったと供述するが、原告本人の採用経過に関する供述の内容には賃金決定の経過に不自然な点があり、証人菅野龍治郎、同河部勇吉のそれぞれ明確な内容の証言に照らし、採用することができない。)
3 原告は、同月一九日から、被告会社のエンジニアリング部に所属して、フィルターに関する設計図面の写図、修正図面の作成等の業務に従事した。原告は、就労開始から約二週間経った同年一二月上旬、松川社長に対して直接、「時間給を一時間一三〇〇円にしてほしい。」旨求め、松川社長は、原告の希望どおり、出勤初日に遡って、当初から一三〇〇円とする扱いにすることを約した。さらに、平成三年一月中旬、原告は、直属上司である河部副社長に対して、「時間給を一五〇〇円にしてほしい。」旨記載した書面を提出した。これに対して、同副社長は、一旦、「社内的に検討する。」と答えて、松川社長や菅野相談役と相談した上で、「定期昇給が毎年四月にあるので、その際考える。」として、昇給を断った。しかし、原告は、その後も、同副社長に対して何度も昇給を求め、その度に、「四月の定期昇給で考えましょう。」と断られた。その後同月下旬になって、原告は、同副社長に対して、再び「二月一日から上げてほしい。」と昇給を求め、同副社長から前同様に断られると、四月には時間給を一五〇〇円とすることを社長名で約した書面を交付してほしいと要求し、同副社長から拒絶された。
(<証拠・人証略>、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
4 ところで、被告会社では注文を受けて設計したフィルター等について、一旦図面を作成して注文主に渡し、その承認を受ける手順を踏んでおり、その間に、図面の修正等を要することになった場合、指示してその図面上の修正をさせるというのも原告に担当させていた仕事の一つであったが、こうした仕事の中で、原告の仕事振りは、指示の内容を正確に把握しないとか、仕事が遅いなどの問題があり、設計の責任者である前記河野らから「指示した図面と違うので、注意すると開き直って、そんな指示は受けていないなどと言うので困る。」などの苦情があった。
また、原告の被告会社での一般的な勤務態度については、原告は、会社は仕事をする場所だからという考えで、概して世間話等はせず、同僚らとの一般的な交際はしていなかったが、自己の信仰する宗教に限ってはこれを同僚に勧めることがあり、周囲ではこれを迷惑がり、就業時間中に宗教の話を持ってこられては仕事にならないとこぼす者もあった。河部副社長も、原告から宗教新聞を見せられて「これ読んで下さい。」と言われて、「会社で勤務時間中にそういうものを見ちゃだめだ。」と叱ったことがあった。また、原告の前の席にいる女子社員が、原告から揶揄されたり、宗教新聞を渡されて見ておけと言われるとして嫌がり、再三席を変えてほしいと要望するに至った。右女子社員が嫌だという理由は、右宗教新聞の件のほか、原告から、「いつも美しいな。」とか、「可愛いな。」、「奇麗だな。」などと日々言われるということにすぎなかったが、当該女子社員としては、常々言われるということで大変嫌がっていた。
(<証拠・人証略>、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
5 被告は、原告がしばしば賃上げを要求することや右4のような日常的言動から、原告の雇用については明確な労働契約書を取り交しておく方がよいと判断し、平成三年二月四日(月曜日)、期間を同月一日から同月二八日までと記載し、賃金につき時間給一三〇〇円と明示した契約書を作り、河部副社長から原告に対してこれを交付して、同月八日(金曜日)までに署名押印して提出するように話した。これを受け取った原告は、その内容を見て、署名押印を求められた欄の冒頭に「パート、アルバイト」という記載があった点、「賃金 時額一三〇〇円」となっていた点、「労働契約期間 平成3年2月1日より平成3年2月28日まで」となっていた点の三点に不満をもったが、右の用紙を交付した河部副社長に対してはもちろん、被告会社の他の何人に対しても、その不満を述べたり、交渉を求めたりすることなく、右用紙を交付された翌日早朝にはそれが「虚偽契約書」だとして、新宿労働基準監督署にこの契約書用紙を持参し、同労働基準監督署による調査と被告会社との交渉を依頼した。右依頼は、同署係官によって断られた。
しかし、原告は、同月六日被告会社において、出社してきた菅野相談役に対し、「労働契約書については新宿労働基準監督署にお任せしたから、話はそちらとつけてほしい。」旨、あたかも同監督署が被告会社に対して何らかの指導等をすることを約したかのように述べた。そこで、同相談役が同日午後、同署に赴いて担当官に事情を尋ね、担当官から、原告と前の勤務先との間には係争があり、同署から原告に対して平成二年一一月一一日付けの書類を送ったところ、転居先不明で返送されてしまっていた、原告は、前日の早朝来署して書類を入れた封筒を置いていったけれども、それに記載されていた住所が、右転居先不明とされた所だったので、取りあえずそのままにしておいた、その後原告が同日午前一〇時半ころになってまたやって来て、「虚偽の契約書だ。」と言って、前記契約書用紙を示し、同監督署で被告会社を調査して、被告会社と交渉してほしいと申し出たが、労働基準監督署として関与するような話ではないので、「契約すればいいじゃないか。」と言うと、原告から、「どこに行って相談したらいいか。」と聞かれたので、「自分で探しなさい。」と答え、同署として関与することを断ってある、という話を聞いた。
(<人証略>、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
6 被告は、このように、日ごろの言動に加えて、労働基準監督署に出向いて被告が虚偽の内容の労働契約書を交付したなどと申し出た上、同署で相手にされなかったにもかかわらず、被告に労働基準監督署と交渉するように求めるなどの原告の言動に不信をもち、松川社長、河部副社長、菅野相談役らで原告の扱いについて相談した。
折から、原告に担当させていた図面作成の仕事は、原告の作成図面がさらに訂正を要し、仕上がりが遅れてしまい、納期に間に合わないため、迅速、正確に図面の修正をしてくれる下請けに一部を発注して、平行して仕事を進めていたところ、平成三月二月八日の時点では、既に、三、四日前から原告に作成させる図面がなく、原告には単なる不要不急の図面整理の仕事をさせている状態であった。そこで、同月九日が土曜日で同月一一日まで三連休だったので、被告は、原告に対して、次の就業日である同月一二日から一旦休業を命ずることとした。
同月八日、菅野相談役と河部副社長の二人が、原告を社長室に呼び、菅野相談役から原告に対して、「知っているとおり仕事がないので、一二日の火曜日から設計の仕事ができるまで休業するように。」と指示した。そして、履歴書に「(本)住所」として記載してある所には原告が居住していないことが、前記労働基準監督署での話から分かっており、また、原告から申し出のあった「自宅の電話番号」というところへ電話をすると「現在使用されていない。」ということだったので、菅野相談役において原告に対し、「設計の仕事ができたら連絡するから。」と言って、「住所はどこなのか。」と尋ねたところ、原告は、転居先不明とされているという東京都中野区の住所でよいと言い張り、「(仮)住所には電話はない。時折訪ねるので、連絡は不要だ。」と言って連絡先を教えなかった。
(<人証略>、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
7 同月一二日、原告は、通常どおり午前九時に出勤し、指示されていない図面を勝手に書き始めた。そこで、設計の責任者である河部が、「今日から休みのはずだ。」と言って、勝手に指示のない図面を書くのを止めるように言うと、原告は、「君たちに言われる筋合いはない。」と述べて従わなかった。出社して右の事情を知った菅野相談役は、早速、原告に対し、当日の分の賃金は支払うから直ぐに退出するようにと命じ、翌日午後に来社するように指示した。
そして、被告会社では、右のように、上司に反抗して規律に従わないのでは、業務に差し支えることがはっきりしたと考え、原告を解雇することとし、当日中に、菅野相談役が新宿労働基準監督署に行って、係官に、原告を解雇する際の適法な方法を尋ね、その教示をもとにして、解雇予告通知等の書類の原稿を作り、また、原告には休業を命じてあったため、解雇予告手当ては平均賃金の六〇パーセントを支払うこととした。
翌一三日、出社した原告に対し、菅野相談役から、履歴書の現住所が虚偽であったこと、勤務態度について従業員からの苦情が出ていること、労働基準監督署に行って被告会社が違法なことをしているかのような申し出をしたことなどを指摘して、原告に対して任意の退職を求め、退職しない場合には解雇するつもりであることを告げた。
なお、被告会社就業規則には次のような規定がある。
第4条(服務規律)
従業員は自己の職務に対して責任を重んじ、能力の向上に努力して業務に精励し、上司の指示命令に従い、もって職場秩序の維持に努力しなければならない。
第5条(順守事項)
従業員は常に次の事項を順守し職務に従事しなければならない。
1 自己の職務はこれを正確かつ迅速に処理し、常に能率の向上に努めること。
第6条(禁止事項)
従業員は次の各号に該当する行為をしてはならない。
1 会社の名誉を傷つけまたは信用を損なうような言動をすること。
2 内容の如何を問わず、会社に虚偽の届、報告等をすること。
10 作業能率を低下させるような言動をすること。
11 職場において、他の従業員の作業能率を低下させ、もしくは休憩を妨げる恐れがある政治、宗教活動等社業以外の活動を行うこと。
第9条(出勤拒否および退勤命令)
従業員で次の各号の一に該当すると認められるときは、出勤させないことがあり、また退勤させることがある。
2 風紀、秩序をみだし、またはみだす恐れある者。
5 就業禁止または出勤停止を命ぜられた者。
第48条(解雇)
従業員が次の各号一に該当すると会社が認めたとき、その者を解雇する。
1 精神または身体の故障、虚弱もしくは疾患等のため業務に耐えられないとき。
8 とばく、風紀びん乱等により職場規律を乱し、他の従業員に悪影響を及ぼしたとき、または、これらの行為が会社外で行われた場合であってもこのため会社の名誉もしくは信用を失墜し、取引関係に悪影響を与え、または、労使の信頼関係を喪失させたとき。
9 雇入の際の採用条件の要素になるような経歴を詐称したとき、および使用者の行う調査に対し不採用の原因となるような経歴を詐称したとき。
11 正当な理由なく、異動、転勤その他の業務命令を拒否したとき。
12 その他本章の懲戒解雇事由に類する会社があったとき。
第71条(懲戒解雇の事由)
次の各号の一に該当するときは、懲戒解雇する。
7 雇入の際、採用条件の要素となる様な経歴を詐称したとき、または雇入の際使用者の行う調査に対し、不採用の原因となるような経歴事項等を詐称したとき。
8 正当な理由なく、上司に反抗したり、またはその指示命令を守らなかったとき。
9 正当な理由なく、異動、転勤その他の業務命令を拒否したとき。
12 会社の服務規律に違反し、職場の秩序を著しく乱したとき。
17 その他本条各号に準ずる行為があったとき。
(<証拠・人証略>、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
8 その後、原告は、同月一八日には、本件訴状を当裁判所に提出し、同月一九日に被告会社を訪れ、平成三年三月一四日限り解雇する旨記載された「解雇予告通知」(なお、同書面には、この期間中に他の事業所に勤務した場合には休業手当ての支給はしない旨の記載がある。)及び「解雇予告に至った経過確認」と題する書面を手渡され、休業手当は平成三年二月一三日から同年三月一四日までの一か月分で支払額は一〇万三〇七一円となること、その支払は同年三月一五日とすることを申し渡された。そして、同年二月二五日、被告は、賃金を受け取りに来た原告に、同年一月分の賃金を支払った。また、同年三月一五日、被告は、前記休業手当を受け取りに来た原告にこれを支払った。
(<証拠・人証略>、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
9 なお、原告は、被告から解雇された後、直ちに、他社への就職活動を開始し、平成三年二月二五日ころには、大藤化水株式会社との間で就労についての仮契約をし、それに基づいて就労したが、同年三月一日ころには不採用と確定し、その後も、他社の採用面接等を受けて、不採用となったりしている。
(原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
二 原告は、被告会社からの解雇が不法行為にあたると主張するが、その解雇に至る事情は、前記認定のとおりであって、原告を解雇したことが不法行為に該当するものと解することはできない。
すなわち、もともと原告は、被告会社から一旦採用を断られたにもかかわらず、「なんとかアルバイトでテストしてもらいたい。」と懇請して、その前提で被告会社に採用されるに至ったものであるところ、原告が被告会社に採用されるあたって申し出た現住所が虚偽であったことは、被告就業規則第6条2に該当し、同第48条9又は第71条7にそのまま該当するかどうかはともかく、これに準ずるものとして、同第48条12、第71条17に該当する。被告会社に勤務中の原告の仕事振りは、同第5条1に沿わないものであり、仕事上の指示等に対して反発したことや休業を命じられたにもかかわらずこれに従わず、勝手に指示のない図面を書いたり、上司の命令に従わなかったことは、同第71条8に該当し、また、同第4条に違反し、同第71条12、第48条11に準ずるものとして、同条12に該当し、さらに、同第71条9に準ずるものとして、同条17に該当する。他の従業員から苦情の申し出のあった勤務時間内の宗教の話や女子従業員から揶揄と受け取られた発言等は、同第4条10、11に該当する。労働基準監督署に行って被告会社が違法なことをしているかのような申し出をしたことは、同第6条1に違反し、同第71条12に該当する。
そして、これらの事由に前示の経過を総合すると、原告の解雇をもって不法行為と断ずることは到底できない。
また、原告は、その趣旨は不明確であるものの、「虚偽契約書」の作成等に不法があると主張するが、前記認定のとおり、原告が「虚偽契約書」であると主張する(証拠略)は、被告会社から、契約案として提示された契約書用紙にすぎず、原告は、これに署名も押印もしなかったものであり、原告本人尋問の結果によっても、原告が不満に思った点は、「賃金 時額一三〇〇円」となっている点、「労働契約期間平成3年2月1日より平成3年2月28日まで」となっている点、「パート」となっている点の三点であって、それらが虚偽であるというのであるが、「賃金 時額一三〇〇円」となっている点は、原告自らが社長に頼んで決めてもらった時間給であり、「パート」という点も、原告自らが菅野相談役から「バイトとして使う。」と言われて稼働するようになったと供述しているところであり、「労働契約期間」の点に関しても、原告が強調する始期については、なるほど原告の採用時期が前年の一一月であったけれども、だからといって、平成二年二月の申し込みの時点で、契約書の始期を「平成2年2月1日より」と表示することが虚偽で不当であるということにはならないのであり、結局は、原告の不満として考慮し得るものは、契約の終期として表示されていたのが、「平成2年2月28日まで」とされていた点に限られるが、それとても、被告会社からの契約案として提示されたこと自体で何らかの不法性を帯びるという余地はないのであり、かえって、原告は、これらを当時不満としながら、右書面を交付した河部副社長はもとより、被告会社の何人にも、その不満を述べたり、交渉をしようともせず、直ちに労働基準監督署に赴いて、被告会社があたかも違法な行為をしているかのように申し述べて、調査と交渉を依頼したものであって、この経過の中に被告会社の違法行為を見いだすことはできない。
また、被告が原告を一旦休業させようとしたことも、前示の経過に照らせば、やむを得ないものというべきであり、そこに原告に対する不法行為を構成するような違法があるとはいえない。
他にも、被告会社の行為の中に原告に対する損害賠償を要する不法行為とみるべき点は見当たらない。
三 以上のとおりであるから、原告の請求は失当である。
(裁判官 松本光一郎)